» 2013 » 8月のブログ記事

おっと!いきなり実務的な。
そうなのです。この世でおそらく最も苦手なことですが、帳簿をつけております。一昨日は税理士さんにいらしていただいて、ここを建てるにあたっての様々なお金の動きを整頓しました。
今日は、税理士さんのご指導に励まされ、途中までつけて、ずいぶん前に行き倒れていたミエザホールの現金出納帳をなんとか、今日までを「ほぼ」全てつけ終わりました。

イエェ~イ!

大学時代、得意な理系科目とプログラミングと語学だけを、超偏り履修して、なんとか人並みに卒業することができました。余談ですが体育では今は亡きジャンボ鶴田先生の「レスリング式トレーニング法」を受講したことも。理系科目はどんと来い、同じ数字だから大丈夫だろうと履修して、唯一まったく歯が立たずに不可をいただいたのが「会計学」。最近に至るまでその苦手意識は払拭されていません。
しかし、やよい会計はとっても簡単。間違っているのかもしれませんが、とりあえずはなんとかヨチヨチ歩けている「気がします」(笑)!
めでたし。気がかりがまた一つ、消えました。

ところで近頃コアラ君は夜になると「どっと」に少し怯える日々であります。
「コアラ君、早くお風呂に入らないとどっと疲れて、またお風呂で泣いちゃうよ。」
と、ある日母ちゃんが言ったことがきっかけでした。サッと顔色を変えたコアラ君。
「どっと?くるの?」
「どこにくるの?」
「どっと、なにいろ?」
「どっと、もうすぐくるの?」
「どっと、いまどこにいるの?」
と、どうやら「どっと」という物が居るのだと思ってしまった様子。脅して言うことをきかせるのは好きではないので、そういう風に「どっと」を使いたくはないのですが、本人が「どっと」の存在を信じ込んでしまい、自主的に「どっと」が来る前に急いで歯磨きをし、お風呂に入ってくれます(笑)。実際、助かってしまっています。

「歌いなさい。そして弾き続けなさい!」

私の恩師が、別れの際にくれたチャイコフスキーのコンチェルトの楽譜にはその言葉と共に、「あなたが17歳になった時、チャイコフスキーコンクールで再会しよう!」と書かれています。別れる時になって初めて自分にかけられた期待の大きさを知り、身が引き締まるような震えを覚えました。10歳の2月。
日本に帰って来て、どこかに良い先生はいないかと、高知県から東京に出て来ては、色々な先生に演奏を聴いてもらいましたが、先生たちは私に驚くばかりで、適切なレッスンなどつけられませんでした。そのくせもっと著名な先生への紹介は渋る。できれば自分のところで教えたい、というのです。子供ながらに大人たちのセコさに驚かずにはいられませんでした。なんとかたどり着いた東京芸大の教授には、毎月飛行機で往復してみてもらっていましたが、その先生もほぼ聴くだけ。「あの音楽性はいじれない。彼女には技術だけを教えます。」と母には話していたという先生。しかし子供にとってはなんと刺激の無いレッスンだったでしょう。技術だけを、、、それは心が通い合う瞬間が何もないレッスンでした。その先生は先生なりに、私を食事に連れて行ってくれて話をしたり、大変可愛がってくれていたのですが、私が望んでいたのは「音楽を通して、音楽に栄養を送り込んでくれること」でした。音楽を「寂しい」と思ったのは、この頃が初めてでした。この人はただ、私が音楽高校を受験できる年齢になるのを待っている。しかも受験して入った後も、待っているのは、この同じ指導なんだ。なんて狭苦しい世界なんだろう。毎月の飛行機代など、両親が私のために使ってくれている多額の費用のことを考えると、あまりにも中身が伴っていない。と、子供だからこそ、そのことの重さにも潰されそうになっていました。
こんな事をちんたらやっていたら、17歳のコンクールに間に合わない。モスクワの先生のところに行きたい。と、意を決して当時のソ連大使館(まだ冷戦時代でしたから、自由に行くことも出来ず、海外からの手紙はソ連国内で必ず検閲が入りました。)に手紙を書き、モスクワに行って勉強したい。と、先生が私の帰国前、両親に私をモスクワに連れて帰って育てたいと申し入れてくれていたことも含めて嘆願し、先生への手紙も同封しました。数週間後、手元に届いたのはソ連大使館からの絵はがきセット。クレムリンやら教会やら、たくさんの絵はがき。そして手紙はというと、「あなたはまだ小さすぎるので、大人になるまで待ってください。」という内容でした。この時、自分の中で、希望がくじけました。後で分かったことですが、私が先生に宛てた手紙が先生に届くことはありませんでした。
その頃、指揮者の三枝成彰氏が高知に来て、トヨタのプロデュースのチャリティーコンサートで指揮をしました。リハーサルを含めて3日間、私は大人達の交響楽団にエキストラとして出演していました。休憩時間にヴァイオリンを弾く私に三枝氏が目を留め、近付いてきて話をしました。翌日も話しかけ、「僕が東京で世話するから出ておいで。君を教えれる人、ここにはいないでしょ。」と。しかし、東京で最高峰と言われる大学の先生に習っていても満足出来ていない子供は、彼の言葉を、いえ日本の音楽界を、もはや信じる力がありませんでした。コンサート最終日、三枝氏は再び同じことを言ってくれました。けれども子供は首を縦に振らず、その後まもなくヴァイオリンをやめてしまいました。理由は、、、「歌えなくなってしまったから」
閉じ込められて心が折れてしまったカナリヤが、鳴かなくなってしまったお話を読んだことがありました。おそらく、音楽家は年齢を問わず、そういう人種なのです。「弾けるから」弾くのではない。「歌いたいから」弾くのであって、「歌いたくなくなったら」もう歌わない。弾かない。そういう単純な人種なのです。悲しかったし、何よりも辛かったのはモスクワの先生の愛と期待に、もう自分は応えられないのだという真実。少女はまさかその気持ちに、自分がその後の人生、ずっと苛まれるとは思っていませんでした。少女もまた、先生を深く愛していたので、その傷は昨年、先生と電話で何十年ぶりかに話すことが出来て、やっと克服できたのです。
さあ、前置きが長くなりましたが「あなたの歌を」の話です。「人は幼いころに聴いた母や祖母の歌から自由になることはできない。」チェーザレ・デッランナの言葉です。私は3歳からいたグァテマラや、9歳からいたエクアドルの音楽にどっぷり使って育ちました。そして家ではクラシック好きの両親が朝から晩まであらゆる編成のクラシックを聴いていました。それが今の自分の「音」と「リズム」を作っています。そして「歌」は、私が生きてきた道筋すべてです。それらを集中の瞬間に、「今これしかない」という確信のもとに、心をこめて無心に「歌う」。体は勝手についてくる。おそらく、それが「歌」です。大好きだった先生は、私の日常にも目を配り、私の行動から優しさや閃きを見出すと、肩を持ち、まっすぐに目を見て優しく「だから君の歌は素敵なんだよ。その歌を守りなさい。育てなさい。」と言ってくれました。音楽に厳しい人で、誰かがレッスンで気を抜いたり心無い音を出すと、真っ赤になって熊のような巨体で怒り狂う先生でしたので、その優しさは、本当に特別なものでした。彼はそうやって「歌う」とは、生きていること、考えていることと完全につながっているのだと、私に教えてくれました。
昨日の発表会の後、自分たちの演奏をしっかりやり遂げた生徒さんたちは「歌う」とか「表現する」とはどういうことか。いつになく熱く語り合っていました。その姿はまっすぐで、色々な社会的な役割を帯びた「人」を脱ぎ捨てた、「人間」でした。音楽があるからこそ見れる彼らのそんな姿を嬉しく思います。また、私の教室の唯一の縛りである「歌いなさい」そして「音を出す限り、いつでもベストを尽くしなさい」という姿勢の根拠を少し説明した方が良さそうだと感じ、初めて上記のような自分の体験をお話しします。
あなたの歌は、あなたの人生と完全につながっている。だから私はその生き方と歌い方を尊重し、出来るだけ「歌」を自然に心地よく歌えるようになるように指導することが、自分の務めだと思っています。「あなたの歌」はあなたにしか無く、あなたにしか歌えない。それは生きている以上、皆が持っているのです。人は皆違うのだから。ただ、それを分かって磨いたり育てたりしたものと、気付かずに心の隅っこで眠りっぱなしになっているものは、全然違うだけなのです。「歌」を外に借りに行ったりしないで、「あなたの歌」をあなたの中に探す、長い長い旅に出てみてください。とても楽しい旅ですよ!

以上、生徒の皆さんへのメッセージでした。

明日の発表会に向けて、今日は生徒の皆さんの最後のリハーサルでした。一週間前のリハーサルの際は、かなり厳しい言葉を一人一人に投げかけたのですが、たった一週間の間に皆さん、見違えるように表現力、音ともに磨いて来ました。アッパレさすがの精神力です。音楽を教える者として、生徒さんたちの前向きかつひたむきな姿勢に腹の底からうなづけたリハーサルでした。しかし、本番は今日ではなく明日。そこでそれぞれがどういう風に力を発揮し、感性を解き放つかが問われます。
あんまりにも皆、胆のすわった出来栄えなので、少しお客さまにいらしてほしいと、今さらですが思っております。というわけで、もしよろしければ聴きにいらしてください。入場は無料。2時半開場、3時開演です。ただし、冷やかしのお客さんは無しです。素人と言えども、めちゃくちゃ真剣ですから。わがままなリクエストで申し訳ありません!
ホールの管理人ハッシーは、ルクレールの二つのヴァイオリンのためのソナタ6番と、J.S.バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲を生徒さんと一緒に演奏します。

さて今日のブログのお伴は、チェーザレ・デッランナの「タランタ・ヴィールス」。イタリアはプーリアの民族舞踊音楽、ピッツィカをテクノにアレンジしたもの。同じくチェーザレ・デッランナの「ジロディバンダ」も南米生活での「フィエスタ」を彷彿とさせて好きです。、、と、サラッと書いていますが、私はこのことろこの鬼才トランぺッター、チェーザレ・デッランナの強烈なファンになっております。プーリアに彼の生演奏を聴きに行こうかと本気で思うほどに。夕食の後、「ジロディバンダ」を聴きながら、コアラ君と遊ぶのがこのところの日課です。あまりに刺激的な魔力を持つ音楽なので、眠る1時間前には消音がルールですが!

9月7日のチャリティーコンサート、「忘れないためのヴァイオリンコンサート」では私の提案で、会場の皆さんと一緒に歌って頂くために「ふるさと」を演奏することにしました。まだ故郷に帰れない多くの方々に、心を寄せて頂きたいという思いからです。
ただ、ピアニストが共演するわけではないので、ヴァイオリンだけで「ふるさと」の旋律を朗々と歌うというだけではちょっと面白くありません。そこで、数日前から練習の終了時に少しずつ「ふるさと」を弾いては改良してヴァイオリン版「ふるさと」を作っていたのですが、ついに完成しました。二重音トリル(トレモロのように聴こえる)や重音奏法での演奏になります。ヴァイオリンの無伴奏にふさわしい楽曲にすること。かつ「ふるさと」独特の深い抒情性を失わせない。皆さんと歌っても歌うリズムを損なわない(一緒に歌いやすい)。という三点が自分に課した課題でしたが、どれもうまく達成できたと、満足しています。
親友の大崎章氏監督、映画「キャッチボール屋」の挿入で使用された「シーベック&シーモア」(橋口 編・演奏)、代々木上原のムジカーザでピアニストの水月恵美子さんと連弾公開した「うし」(橋口作曲)に続き、渾身の一作となりました。演奏するのが楽しみです!!

朝や夕方、涼しい時にコアラ君と屋上の芝生でボールをけったり、駆けっこをしたりして遊んでいます。
走り回りながらふと見ると、イモのコンテナの隙間に動物の影が、、むむむ。

イモ畑

かき分けてみると、お姉ちゃんネコでした。コアラ君と大笑い。我が家で屋上を一番満喫しているのはお姉ちゃんネコかもしれません。

お姉ちゃんネコ

さて、明日はコアラ君を保育園に預けて、生徒さんたちの発表会のリハーサルです。そしていよいよ明後日が本番。全員がベストを尽くしますように!!

9月7日のいちょうホールでの無伴奏ヴァイオリンのチャリティーコンサートと並行して、今日からピアニストの萩生君と10月のコンサートのリハーサルを開始します。萩生君のことは大学時代の同級生だと思っていましたが、よく考えたら!彼は私より一つ下の学年なような気がしてきました。今日会ったら確認してみます(笑)。もともと年齢、学年に対する感覚がまったく無かったため、こういう記憶違いも起こるのでしょう。
萩生君はレコード会社(という表現が正しいのかどうか分かりませんが)に勤務しながら、精力的に演奏活動をしています。慶應大学時代のキャンパスでの浮きっぷりは、お互いに良い勝負でした。相変わらずお互いにあまり既成概念にとらわれずに生きているようで、音楽の端々にもそれがあらわれています。私はこうして時々、それを確認し合いたくなります。リハーサルは彼の仕事が終わってからになりますので、夜8時半ころスタートになります。楽しみです。

音楽

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それはあなたの声でしょうか。

それはあなたの思いでしょうか。

それはあなたの体なのでしょうか。

作曲者の思いに重ねた、あなたのすべては、

輝いたり、透明に溶けて消えたり、

広がったり、素早く集まったりしながら、

見えているのか聴こえているのかすら、もはや分からず、

心に、皮膚に、かぶさり、入り込んでくる。

優しく、うむを言わさず。

あなたは、、、いったい何なのだ。

 

 

9月7日、八王子のいちょうホールで東日本大震災で被災した方々への募金活動を目的とした「忘れないためのコンサート」を行います。一部は一般社団法人OPEN JAPAN(旧 石巻ボランティア支援ベース〝絆”)の共同代表 吉村誠司さんから、被災地の現状含めてのお話があります。OPEN JAPANの活動をご紹介しているサイトはこちらです。ぜひご覧ください。

http://williamseiji.wordpress.com/

http://openjapan.net/

二部は私の無伴奏バッハの演奏です。パルティータの3番と2番をそれぞれ全曲演奏いたします。コンサートは入場無料とします。被災した方々のための募金活動をロビーで行いますので、そちらにお気持ちを託していただければ幸いです。
開場は18:30、開演は19:00です。

未就学児の入場も可能で、小さなお子さま連れのご家族には、お子さまが騒ぎそうになってしまったら出やすいよう、出口近く、かつ飽きが来にくいよう(笑)舞台近くを優先席としてご案内する予定です。ただ、完全に入場無料とし、チケットもありませんので、いつもの私のコンサートのようには、お客さまたちのお席のご予約が承れません。席の場所などにこだわる方は、少し早目にいらしていただいて、入口に並んでいただくしかないのですが、ぜひぜひ、大勢でお越しください。お待ちしております。

 

 

 

9月に八王子で演奏するため、プロフィールを書くことになりました。自分の来歴をラベルのように貼らなければならないのが嫌だと(本当に面倒くさい性格だと自分でも思います)、プロフィールをここ数年、書いたことも考えたこともありませんでした。ところが先日あるクラシックコンサートのチラシをいただいて、その方のプロフィールを読んでみたら、なんだかとても楽しかった。その人のことをもっと知りたくなりました。なるほど、要は書き方なのだな、と。そこで、自分にも出来るかどうか分かりませんが、自分もそんなプロフィールを書いてみたいと思い、音楽以外のことも織り交ぜつつ、気ままに生きてきた軌跡をたどってみました。

こんな感じです。

プロフィール

10歳でエクアドル国立音楽院を飛び級卒業。在学中はモスクワのグネシン音楽院の現学長、アンドレイ・ポドゥゴルニ氏(当時はモスクワ音楽院教授)からソロ及びオーケストラの指導を受け、10歳にして月14回の公演をこなし、年間100回を超えるリサイタルツアーをエクアドル国内各地で広く行う。日本に帰国の際には別離を惜しまれ、在エクアドル共和国スペイン大使館によって「さよならコンサート」が主催されるなど、その音楽は国籍を超えて人々に愛された。
帰国後は音楽環境の違いに馴染めず、11歳でヴァイオリンをやめ、17歳までスポーツや化学の実験に励む。その間は「高吸水性樹脂の化学的性質について」という研究で、全国学生科学賞3等、ソニー賞、高松宮賞を受賞。陸上800mでは国体選考会四国大会において3位入賞。
17歳で、1からとなったヴァイオリンの技術習得を、稲垣琢磨(大阪教育大学)、山岡耕筰(東京芸術大学)両氏の指導によって始めるも、慶應義塾大学・環境情報学部に進学。大学進学後は独学となる。
慶應義塾大学卒業後は様々な職種に従事した後、2002年から東京を中心とした本格的かつ精力的な演奏活動を開始。2007年、坂本龍一氏プロデュースのロハス・クラシックコンサートに出演し、オーチャードホールと彩の国さいたま芸術劇場で、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ2番より、シャコンヌを演奏。
2007年と2009年には現地のプロデューサーにより、イタリアのミラノ、クレモナ、ノヴァ―ラ各地でリサイタルツアーを行う。2008年と2009年、フランスのSAVAREZ社製のヴァイオリン弦、Corelliのイメージキャラクター。また、2008年に数度にわたり、イタリアにて巨匠サルヴァトーレ・アッカルド氏の指導を受けられたことが、音楽的な転機となる。
2012年と2016年、2017年にはエクアドルの文部省や日本大使館、現地大学や企業の主催、後援により、首都のキトとグアヤキルで複数のリサイタルを行い、エクアドル大統領の御前での演奏も果たす。
2013年4月には府中市分倍河原駅の駅前に、本格的な音響とスタインウェイのフルコンサートグランドを備えたミニ・コンサートホール「ミエザホール」を建設し、オープンさせた。現在は演奏家、指導者、ホールのオーナーであり、1児の母。

日本で演奏活動をはじめて10年以上が経ちました。ホールが出来上がった時、そしてついこの間まで、演奏家としての自分と、ホールの運営者としての自分がクロスオーバーする地点について考えてみたことはありませんでした。様々な楽器の演奏者の方々、音楽関係者の方々、舞台関係者の方々がホールにみえて、音響を、施設を、そして演奏者への配慮を絶賛して下さることをありがたく思い、「やっぱり自分の勘やこだわりは間違っていなかった。ここはきっと必ず演奏者たちに愛される場所になる。」ということまでは確信するに至っていましたが、もう一歩、演奏者としての自分がこの10年の苦節経験(今さら苦節と表現しますが(笑)!)を活かして、音楽家としてここで出来ることがあるという点を考えるには至らなかったのです。
ここに居て、今まで見えなかったことが沢山見えてきました。東京には、なんと高い確率で、マスコミ的に無名でありながら優れた音楽家たちが大勢いることか。彼らはおそらく物理的に、精神的に、音楽家として生きることへの多くの難問を抱えながら、それでもそこにとらわれることなく前向きに自分の音楽と向き合い、命ほとばしるような音を紡ぎだしています。そんな素晴らしい人たちがこんなにも居ることを、このホールを作らなければ、私が知ることは永遠に無かったかもしれません。
もっとずっと若い人たちはコンクールに、オーディションに、ひたむきに向かう日々を過ごすかもしれません。それは現代では仕方のないことなのかもしれませんが、音楽は競争ではありません。ましてや演奏者の飾りや勲章、練習で獲得したものや日々の努力を披露するためのものでもありません。ただシンプルに、人間の生を肯定的に、そして丁寧に磨いて表した「音」を、聴く人の心にまっすぐ届けようとする人たちの営みなのです。演奏者と演奏者がその感覚を分かち合える至福の瞬間が、互いに音を重ね合わせる共演の時です。自分たちの他にその音楽を聴いている人が居ても居なくても、そのコミュニケーションは何よりも充実して心慰められ、英気を養われるものなのです。その音楽家同志の通じ合った末の「願いや祈り」にも似たものを、演奏会で今度はお客さんに届けようと気を交換し合う。そしてそれが誰かに届いたと信じられれば、それが演奏家にとってのコンサートの醍醐味かもしれません。
そのお手伝いを私は、ホールの管理人としてだけではなく演奏者としても微力ながら、ここから色々な音楽家の方たちに対して出来るのかもしれない。そう気付いたことが、「今までとは違う進み方」というわけです。