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「歌いなさい。そして弾き続けなさい!」

私の恩師が、別れの際にくれたチャイコフスキーのコンチェルトの楽譜にはその言葉と共に、「あなたが17歳になった時、チャイコフスキーコンクールで再会しよう!」と書かれています。別れる時になって初めて自分にかけられた期待の大きさを知り、身が引き締まるような震えを覚えました。10歳の2月。
日本に帰って来て、どこかに良い先生はいないかと、高知県から東京に出て来ては、色々な先生に演奏を聴いてもらいましたが、先生たちは私に驚くばかりで、適切なレッスンなどつけられませんでした。そのくせもっと著名な先生への紹介は渋る。できれば自分のところで教えたい、というのです。子供ながらに大人たちのセコさに驚かずにはいられませんでした。なんとかたどり着いた東京芸大の教授には、毎月飛行機で往復してみてもらっていましたが、その先生もほぼ聴くだけ。「あの音楽性はいじれない。彼女には技術だけを教えます。」と母には話していたという先生。しかし子供にとってはなんと刺激の無いレッスンだったでしょう。技術だけを、、、それは心が通い合う瞬間が何もないレッスンでした。その先生は先生なりに、私を食事に連れて行ってくれて話をしたり、大変可愛がってくれていたのですが、私が望んでいたのは「音楽を通して、音楽に栄養を送り込んでくれること」でした。音楽を「寂しい」と思ったのは、この頃が初めてでした。この人はただ、私が音楽高校を受験できる年齢になるのを待っている。しかも受験して入った後も、待っているのは、この同じ指導なんだ。なんて狭苦しい世界なんだろう。毎月の飛行機代など、両親が私のために使ってくれている多額の費用のことを考えると、あまりにも中身が伴っていない。と、子供だからこそ、そのことの重さにも潰されそうになっていました。
こんな事をちんたらやっていたら、17歳のコンクールに間に合わない。モスクワの先生のところに行きたい。と、意を決して当時のソ連大使館(まだ冷戦時代でしたから、自由に行くことも出来ず、海外からの手紙はソ連国内で必ず検閲が入りました。)に手紙を書き、モスクワに行って勉強したい。と、先生が私の帰国前、両親に私をモスクワに連れて帰って育てたいと申し入れてくれていたことも含めて嘆願し、先生への手紙も同封しました。数週間後、手元に届いたのはソ連大使館からの絵はがきセット。クレムリンやら教会やら、たくさんの絵はがき。そして手紙はというと、「あなたはまだ小さすぎるので、大人になるまで待ってください。」という内容でした。この時、自分の中で、希望がくじけました。後で分かったことですが、私が先生に宛てた手紙が先生に届くことはありませんでした。
その頃、指揮者の三枝成彰氏が高知に来て、トヨタのプロデュースのチャリティーコンサートで指揮をしました。リハーサルを含めて3日間、私は大人達の交響楽団にエキストラとして出演していました。休憩時間にヴァイオリンを弾く私に三枝氏が目を留め、近付いてきて話をしました。翌日も話しかけ、「僕が東京で世話するから出ておいで。君を教えれる人、ここにはいないでしょ。」と。しかし、東京で最高峰と言われる大学の先生に習っていても満足出来ていない子供は、彼の言葉を、いえ日本の音楽界を、もはや信じる力がありませんでした。コンサート最終日、三枝氏は再び同じことを言ってくれました。けれども子供は首を縦に振らず、その後まもなくヴァイオリンをやめてしまいました。理由は、、、「歌えなくなってしまったから」
閉じ込められて心が折れてしまったカナリヤが、鳴かなくなってしまったお話を読んだことがありました。おそらく、音楽家は年齢を問わず、そういう人種なのです。「弾けるから」弾くのではない。「歌いたいから」弾くのであって、「歌いたくなくなったら」もう歌わない。弾かない。そういう単純な人種なのです。悲しかったし、何よりも辛かったのはモスクワの先生の愛と期待に、もう自分は応えられないのだという真実。少女はまさかその気持ちに、自分がその後の人生、ずっと苛まれるとは思っていませんでした。少女もまた、先生を深く愛していたので、その傷は昨年、先生と電話で何十年ぶりかに話すことが出来て、やっと克服できたのです。
さあ、前置きが長くなりましたが「あなたの歌を」の話です。「人は幼いころに聴いた母や祖母の歌から自由になることはできない。」チェーザレ・デッランナの言葉です。私は3歳からいたグァテマラや、9歳からいたエクアドルの音楽にどっぷり使って育ちました。そして家ではクラシック好きの両親が朝から晩まであらゆる編成のクラシックを聴いていました。それが今の自分の「音」と「リズム」を作っています。そして「歌」は、私が生きてきた道筋すべてです。それらを集中の瞬間に、「今これしかない」という確信のもとに、心をこめて無心に「歌う」。体は勝手についてくる。おそらく、それが「歌」です。大好きだった先生は、私の日常にも目を配り、私の行動から優しさや閃きを見出すと、肩を持ち、まっすぐに目を見て優しく「だから君の歌は素敵なんだよ。その歌を守りなさい。育てなさい。」と言ってくれました。音楽に厳しい人で、誰かがレッスンで気を抜いたり心無い音を出すと、真っ赤になって熊のような巨体で怒り狂う先生でしたので、その優しさは、本当に特別なものでした。彼はそうやって「歌う」とは、生きていること、考えていることと完全につながっているのだと、私に教えてくれました。
昨日の発表会の後、自分たちの演奏をしっかりやり遂げた生徒さんたちは「歌う」とか「表現する」とはどういうことか。いつになく熱く語り合っていました。その姿はまっすぐで、色々な社会的な役割を帯びた「人」を脱ぎ捨てた、「人間」でした。音楽があるからこそ見れる彼らのそんな姿を嬉しく思います。また、私の教室の唯一の縛りである「歌いなさい」そして「音を出す限り、いつでもベストを尽くしなさい」という姿勢の根拠を少し説明した方が良さそうだと感じ、初めて上記のような自分の体験をお話しします。
あなたの歌は、あなたの人生と完全につながっている。だから私はその生き方と歌い方を尊重し、出来るだけ「歌」を自然に心地よく歌えるようになるように指導することが、自分の務めだと思っています。「あなたの歌」はあなたにしか無く、あなたにしか歌えない。それは生きている以上、皆が持っているのです。人は皆違うのだから。ただ、それを分かって磨いたり育てたりしたものと、気付かずに心の隅っこで眠りっぱなしになっているものは、全然違うだけなのです。「歌」を外に借りに行ったりしないで、「あなたの歌」をあなたの中に探す、長い長い旅に出てみてください。とても楽しい旅ですよ!

以上、生徒の皆さんへのメッセージでした。