» 2014 » 2月のブログ記事

を迎えました。肩は痛いし背中はガチガチ、指の太さはいつもの1.5倍ほどになっています。先日の大雪で、雪かきを2時間しても、身体はこんな風にはなりませんでした。イザイとバルトークのなせる業です。
けれども、こんな風にすがすがしい朝も久しぶりです。演奏しながら、練習では見えてこなかったものを沢山見ることが出来ました。自分自身の色々な課題はさて置き(置くな!)、バルトークとイザイがどう正反対なのか、はっきり見えてきました。二人とも晩年の作品だったのですが、イザイが自分の美意識や技術の集大成、次世代へのバトンとして作品を残したのに対し、バルトークはそれまでの自分をとりこみつつも蝶のようにそれらを脱ぎ去り、変態した自分を表したのでした。その純粋さ、激しいまでの前向きさで、普遍的なものを追い求め、最後に到達した姿が、私を含め、多くの聴き手を貫くように励ますのだと気付かされました。バルトークにとって、時代の「声」を模索する中での究極の自己表現は、究極の「無私」。自分のそれまでのスタイルを惜しげもなく捨て、新たな自分を作り直した上に成り立ったのでした。そのような挑戦が病と闘いながら死の直前になされたことを思うと、人間という存在の素晴らしさに胸を打たれずにはいられません。
一方、イザイに対しては、自分として多少解釈にあやまりがあったように感じます。「集大成」ということを、多少「過去」に属するニュアンスでとらえていたことで、自分と作品とのコミュニケーションが気付かないうちに少し消極的なものになっていたらしいことが悔やまれます。研究の余地が大有りです。彼の作品は不思議なことに、その微妙な色彩的感覚やトーンにもかかわらず、印象派の絵のように演奏することも、炎が噴き出すように激しく演奏することも可能なのです。耳にする演奏では「炎」に属するものが多いのですが、今回の練習期間中、バルトークとの対比ということも含めて、自分としては「色彩」と「ノスタルジア」に重点をおいて表現することを目標としてきたのですが、結果として昨日は「炎」の演奏になってしまったことが反省点です。もっと、彼の和声の個性である中間色の部分を、お客さんたちに聴かせたかったです。そう出来るように、積み重ねと勉強が必要だと感じました。ヴュータンやドビュッシー、ショーソンなどに取り組んで、「色彩」部分の研究をよくし、自分のものにすることも、今後の突破口になるかもしれないと思いました。
それにしても、演奏した後で「まだまだだ」と思わせてもらえることは、こんなに幸せなことだったかとあらためて感じます。自分の殻を破って「安全圏内」から出ることの、人生としての大切さを両作品からしっかり教えて頂きました。
さて、肝心なお客さまの感想はというと「バルトークが民族という表現から飛び出して、普遍的なものを追い求めて掴んだことがすごく伝わって来て、嬉しかったです。良いエネルギーを沢山頂きました。ありがとう。(ピアニストさん)」「仕事でこのところとても難しい状況で生きて来たんですけど、なんだか元気になりました。」「ハッシー、途中で死んじゃうんじゃないかって心配になっちゃった。良かった無事で。本当に凄かった。」「(石川県から)来た甲斐がありました!ありがとうございました。」などのコメントをいただきました。バルトークの最終楽章が終わった瞬間に、まとめて息をしているお客さまもいて、ちょうどその時に目が合って笑ってしまいました。
私はまだまだ未熟です。でも、音楽とは間違いなく素晴らしい。イタリアのガリーニおじさんに昔、「ミズエ、君は音楽にファナティック過ぎる。人生にはもっと色々な側面がある。そういう所にも目を向けて、もっと普通の人生も体験しなさい。」と叱られるほど、音楽に狂信的だった私は、やっぱり今も変わらない。変われないのだな。と、一人ニコニコ笑っております。作品に宿る精神を通して、未知の人生を知るというのもまた、一つの生き方ではないでしょうか。そして作品を音にすることで、聴きに来て下さる方たちと、瞬間でもその感覚を共有する。少なくとも私は、それが何よりも楽しいのです。

 

すっかりご無沙汰してしまいました。以前にご案内した2月22日イザイとバルトークの準備に没頭して、余剰意識と余剰時間の大半を奪われていたことが一番の原因です。
初めての青色申告に向けての準備も色々と頑張りました。おかげさまでこちらも、自分の作業は終えて、税理士さんにファイルをお預けし、あとは提出を待つのみとなりました。そうそう。市に対しては、固定資産税の償却資産の申告というのもありました。オカネのことは、長年キリギリスを営んできた身にとっては、とっても苦手な分野でありました。同時にコアラ君の幼稚園の入園準備も佳境に入ったりしていました。エレベーターの管理会社さんを選んで商談をしたり、大雪が降って雪かきしまくって筋肉痛になったり(これは皆さんもそうでしょう。二度もやって来たアレです)何だかもう、訳が分からないうちに、用事を片づけたと思うと次のが舞い込む。の繰り返しで、その中で念仏のようにイザイとバルトークだけは心と体に刻みながら生きているような状態が続きました。
がしかし!ようやく全てひと段落(水曜に雪が降りそうですが、、、)。演奏と家族の日常生活以外に何も考える必要が無いスッキリした状態に、もの凄く久しぶりに戻れました。気が付けば、イザイとバルトークの個性を、言葉ではなく、音楽だけでもなく、自分の体の持つ動物的なリズム感で表現するような演奏状態になっていました。今の自分として、これは正解だと思える演奏です。いろんなことを考えました。この個性正反対な二つの現代音楽をどう皆さんに説明しようか、どう身近に感じてもらおうか、言葉や文化、時代背景を書物の中に探した時期もありました。しかし今はただ、演奏で説得したい。と、シンプルに考えております。試行錯誤を繰り返した挙句、自分史上でもっとも、本能的な演奏にたどり着いてしまったという感じです。あとは、ベストを尽くすのみ。ぜひ、橋口と愛器レッドウルフの慟哭、遠吠えを聴きにいらしてください!